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日本人の「推し活」と宗教との類似性,そこに潜む課題とは。「消費社会の宗教:ファンダム・カルチャー」聴講レポート[CEDEC 2024]
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印刷2024/08/22 20:26

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日本人の「推し活」と宗教との類似性,そこに潜む課題とは。「消費社会の宗教:ファンダム・カルチャー」聴講レポート[CEDEC 2024]

 2024年8月21日,ゲーム開発者向け会議「CEDEC 2024」にて,関西学院大学神学部・准教授の柳澤田実(やなぎさわ たみ)氏による「消費社会の宗教:ファンダム・カルチャー」と題したセッションが行われた。

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 これは,「推し活」に代表される日本のファンダム(熱狂的ファンが形成するコミュニティ)カルチャーと宗教との類似性,そこに顕在化する問題点と共に,“ファンダムが「善い」宗教である”ために何が重要であるかを解説するという内容だ。講演者の柳澤氏は1973年生まれで,哲学・キリスト教思想を専門に長年の研究を続け,近年では宗教学の観点から「推し活」と宗教の類似性を指摘した評論が知られている。

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 一見,ゲーム開発とは直接結びつきにくそうな題材だが,ゲームやアニメのキャラクター全般にも該当する「推し」という概念の分析,オンラインゲームにおける「ガチャ」などに多額のお金をつぎ込むユーザー心理,その根源にあるものをうかがい知れるという意味もあり,興味深いセッションだった。


現代の日本に「推し活」が広まっていった背景


 セッションの前半,柳澤氏が「推し活」文化の基盤にあると位置づける,「聖なる価値」(SACRED VALUES)という概念の解説が行われた。

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 これは,市場経済が全面化した現代社会において「お金さえあれば大体のものは手に入る」「人間の思いやり・ケアも含め,すべてに値段が付く」「労働者は代わりがきく」といった前提のもと,人々が自分の生きる価値を見出しづらくなったなかで生まれたものだ。アメリカの心理学者フィリップ・テトロックが提唱した概念である。

 この「聖なる価値」に当てはまるものが神や宗教ということになるが,宗教を成り立たせている心理はもっと身近なものにも宿っていると柳澤氏は話す。ここで例に挙げられたのが,「景品(ノベルティ)のペンの転売」。人は,なんでもないペンを売り払ってしまうことに抵抗はないが,それが何らかの記念にもらったペンであった場合に抵抗感や心の痛みを覚えることがある。
 いわばペンに特別な意味が付与された状態であり,少し大げさに言えば「対象を神聖視している」状態だと言える。

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 ここから視野を広げ,人類にとって価値が概ね神聖視されているものとしては「生命」「家族」「愛」などがあり,例えば「生命」であれば臓器売買,人身売買などが忌避されることがその証拠だという。
 一方で柳澤氏は,多くの人が結婚をしないという選択をとるようになった現代は「家族」の神聖視が揺らいでいることや,こうした変わりゆく価値観が和解の難しいさまざまな争いの火種となっている現状についてフォローした。

 続いて紹介された内容で興味深かったのが,日本人は「神聖さ」に対する感受性が高いという調査結果だ。

 「道徳基盤調査」と呼ばれるこの調査は,たくさんの他愛もない質問(「ネコ派かイヌ派か」「コカ・コーラ派かペプシ派か」など)の中に時折,「神」に関わる質問などを織り交ぜたテストと,そのテスト時に行う対象者のfMRIスキャン(MRI装置を使った調査)により,脳が活性化する部位を調べるという方法である。全世界的に行われているという。

 この調査では,思考のパターンを5つの項目に分けた数値化が行われる。
 まず世界的な調査の結論として,リベラル(合理的)思想が強い人ほど「神聖さ」の数値が下がり,逆に保守的な思想を持つ人は5項目の各数値が平均的に揃うといった傾向が見られた。しかし,日本人の場合はリベラル派・保守派でクラスターを分けても「神聖さ」がほぼ例外なく高い数値になることが分かり,柳澤氏はそこが日本人特有のとても興味深い特徴だと指摘する。

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 日本人ならではのものの考え方として,ここでは三島由紀夫の思想も例として取り上げられている。
 三島は「自分のためだけに生きて,自分のためだけに死ぬほど人間は強くない」と献身願望を語り,大義のための死を求め,45歳で自決をしたことから社会に大きな衝撃を与えたが,当時投げかけられた「日本人が共通の価値を失っていること」は現代にも通じる考え方だという。

 社会で多くの人が共有できる価値がなくなっていくなか,個人それぞれが先に述べた「聖なる価値」を見出す時代へ。人類学者のスコット・アトランは,「聖なる価値」がとりわけ若者にとって必要であることを強調しているという。
 柳澤氏は,ここが現代の日本に「推し活」が広まる理由であるとして話をつなげた。


信仰と「推し活」の共通点に見られる “ごっこ遊び”的な側面


 2010年代以降,あらゆる世代に広まる「推し活」。しかし柳澤氏は,今の日本のように産業化が進み,あまりにも無垢に「推し活」を推奨されていることには,もう少し慎重になるべきという考えを示す。

 ここでは,「推し活」と宗教との類似性について,双方がまるで盛大な“ごっこ遊び”のようであるという構造に着目し,詳しく解説が行われた。キャラクターやアイドルなどの「推し」を神聖視する「推し活」が,どこか宗教っぽいと感じたことがある人はいるだろうが,双方の具体例と共にこれを分析していくというパートだ。

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 「推し活」の具体例のなかで,「推し」(キャラクターやアイドルなど)のグッズを集めた「祭壇」を作ったり,「推し」の誕生日ケーキを(「推し」本人がその場にいないにもかかわらず)実際に作ったりするという行動が存在する。
 これに相似するものとして紹介されたのが,「福音派」と呼ばれる熱狂的なキリスト教宗派による信仰の例だ。そこでは(実体がないにもかかわらず)救世主であるイエスと一緒にコーヒーを飲んだふりをするという習慣が存在し,「リアリティを自分で作って,そこに没入していく」という点においても「推し活」と非常によく似ていると柳澤氏は語る。

 柳澤氏がある種の“ごっこ遊び”的であると解釈する福音派の習慣だが,これを正しく理解するためには背景の説明も必要となることから,“福音派とは何か”という補足も行われた。
 ここでは,キリスト教が非常に強く教派も多岐にわたるアメリカにおいては,教派の分類とは別に,聖書の理解により3つのグループ(主流派・福音派・黒人教会)に分けて考えられること,福音派はその1つであり,特定の教派の名前ではないこと,そして現代は拡大傾向にあるグループであることなどが紹介されている。

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 キリスト教と福音派を知ることが「推し活」の研究へとつながっていくということを前提に,柳澤氏は認知人類学者ターニャ・ラーマンによる福音派の研究内容を紹介した。ラーマンの著書「HOW GOD BECOMES REAL」は柳澤氏による日本語訳版(邦題「リアル・メイキング:いかにして「神」は現実となるのか」)が11月に刊行予定で,当セッションでは本書の一部を抜粋する形で解説が行われた。

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 本書は,前述の「信仰とは真面目なごっこ遊びである」という考え方を出発点(第一章)としており,続く第二章では「神や霊をリアルに感じるためには,詳細に書かれたテキストが有効である」「ディテールに満ちた物語は,目に見えない世界とそこにいるキャラクターを想像させリアルに感じさせる(二次創作も含む)」といった内容へ踏み込んでいくという。
 ここはキリスト教における聖書と,「推し」を生む漫画やアニメとの類似性となりうるポイントであり,柳澤氏もその点を指摘している。

 続けて,「パラソーシャル」(疑似社会的関係)という社会学の概念に言及した。これは,人がテレビの中などで見た(実際に会ったことのない)人に対し親近感を覚える感情のこと。神への信仰や,現代の「推し活」にも通じる部分だが,人が想像上のものとも関係性を生み出せるということは,こうした概念によっても説明ができるという。

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ゲームの受け手,作り手の両方に問いかけられている課題


 ラーマンの「HOW GOD BECOMES REAL」を締めくくっているテーマとして柳澤氏が紹介したのが,神や霊をリアルに感じるようになると,人はそれに対して情緒的でパーソナルな関係を結ぶようになり,またその「関係」こそが社会に大きな影響を与えるという点だ。
 つまり,人は「信念」や「信仰」そのものはきっかけ次第で案外簡単に捨てることができるが,想像上の何かとひとたび結んだ「関係」は,家族やパートナーの関係性と同様に簡単に捨てることはできず,そこから大きな影響を受けるようになるということである。

 柳澤氏は,「推し活」も信仰も「関係」を結ぶからこそ,人を苛烈に変化させるものであり,このことはコンテンツの受け手(ユーザー)としても,作り手(クリエイター)としても念頭に置くべきことではないかとの持論を示した。

 当セッションの結びの話題として,何かを熱烈に支持する,応援するという「推し活」の性質そのものについて,あらためて触れられた。

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 個人が肯定的な感情を持ち,それによって作られていく現実こそが理想……という考え方は,ラーマンの研究によれば1960年代以降のアメリカで盛り上がったものだという。柳澤氏は,こうした感情操作的なイデオロギーと,「推し活」には近いものがあると語る。「現実が,感情という不安定なものに依存する」ということは,それを際限なく追求することにつながり,この結果,多くの人が共有する客観的な現実に無関心になってしまう可能性は否めないのではないか。
 ここでは,「推し活」の持つある種の中毒性やそこに含まれる危険性についても問題提起が行われた。

 AIやVR技術の進化も相まって,虚実の境界がますます曖昧になる時代。そのなかで(必ずしも幸福であるとは言えない)世界共通の「現実」をいかに認めて,共に生きていくことができるか? というのが現在の私たちの課題になっている。このように柳澤氏は語り,セッションを締めくくった。

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