
連載
古典文学の中にゲーム的な構造を見出す「文学のエコロジー」(ゲーマーのためのブックガイド:第33回)
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夏目漱石や松尾芭蕉,バルザックにヘミングウェイ。教科書なんかでお馴染みの文豪たちだが,伝記などで知られる生き様はともかくとして,その著書を実際に手に取ってみると,古臭くて退屈と感じる人も多いのではないだろうか。
しかし古典的な文学作品にも,それこそ「The Elder Scrolls V: Skyrim」や「ゼルダの伝説 ブレス オブ ザ ワイルド」といったオープンワールドゲームにも負けない広がりや奥行きがあるとしたらどうだろう。
今回紹介する「文学のエコロジー」は,“文芸作品をゲームクリエイターの目で眺める”という,ありそうでなかったアプローチによって,そんな気づきをもたらしてくれる一冊である。
著者の山本貴光氏は,コーエー(現・コーエーテクモゲームス)で「戦国無双」の制作に携わったゲームデザイナーだ。独立後は,ゲーム研究の基本書として知られる「ルールズ・オブ・プレイ」(著:ケイティ・サレン&エリック・ジマーマン)の翻訳に携わり,また河出書房新社の文芸誌「文藝」で文芸季評を手がけるなど,精力的な執筆活動を行っている。
「文学のエコロジー」
著者:山本貴光
版元:フィルムアート社
発行:2023年11月23日
価格:2750円(税込)
ISBN:978-4-06-533645-8
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講談社BOOK倶楽部「文学のエコロジー」紹介ページ
だが,そもそも文学(文芸)とゲームには,どんな関連性があるのだろうか。
ゲームには,それこそ囲碁や「テトリス」のように抽象化されたものも少なくない。しかし現代の多くのタイトルには何らかのシチュエーションやストーリー,世界観のような器があり,これを“モデル化”してシミュレートしている。
例えばボードゲームの「ディプロマシー」や,コーエーテクモの「信長の野望」のようなタイトルは,歴史における外交や戦争をモデルとしたシミュレーションゲームだ。人気の映画や漫画がゲーム化される事例も多くあり,それらは何らかの形で原作の世界をモデル化したものといえる。
山本氏はこうしたモデル化が可能であるなら,逆に古典的な文学作品にもゲーム的な構造を見出すことは可能なのではないかと考えた。それを一つの空間的・時間的な奥行きのある「生態系」や「環境」(=エコロジー)に見立て,解き明かそうというのが本書である。
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文学は「認識」と「情緒」からなる
山本氏は,文学とゲームの違いを整理するところから出発する。氏は,文学の特徴を“省略”にあると考えている。言葉で世界のすべてを描き尽くすのではなく,省略によって世界の広さ,豊かさを逆照射するというわけだ。あえて省略された文章の行間を,自由に想像し解釈できるところにこそ,文学を鑑賞する醍醐味があるというわけだ。
一方,ゲームは逆である。コンピュータ上でゲームを作るのなら,プログラマーは作品内に登場する要素を予めオブジェクトとして用意しておかなくてはならず,そこが小説とは決定的に異なっている。この用意がなければゲームは遊べず,それこそがゲーム制作の大変なところだ。
こうした特徴を踏まえ,山本氏は文学が省略しているゲーム的なオブジェクトがいったいどのようなものかを丁寧に説明し,可視化させていく。
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ここでいう“F”とは「古今東西や言語を問わず,人間が認識したこと」,“f”は「そうした認識に伴って生じる情緒」であり,漱石によれば,これが文学のもっともシンプルな設計図,というわけである。
もっとも分かりやすい例が,松尾芭蕉の有名な俳句「古池や蛙飛び込む水の音(をと)」だ。極限まで省略されたこの文章には,池が「古い」ことは書かれていても,具体的にどれくらい昔からあるものかは明示されていない。しかし,確かに池はあり,芭蕉がそこを見つめている(=認識している,つまりF)のは読者にも伝わってくる。「蛙」についても同様で,どの程度の大きさか,単体なのか複数なのかもはっきりしない。だが,それでも蛙がそこにいるのは確かである。
わずか17字という短い制約のなか,物語が駆動するのに必要な要素が書き込まれており,それによって読者の脳裏に壮大な空間が立ち上がらせる。のみならず,蛙がジャンプする動きを詠うことでその光景を想起させ,読者にある種の感動(=情緒,つまりf)を与えるのである。
これをゲームで考えるなら,美しいグラフィックスによって描画され,あるいは音声を伴って表現される画面こそが“F”ということになろう。さまざまなオブジェクトによって表現されたそれは文学に比べてかなり饒舌で,確かな存在感を持ってプレイヤーに提示される。
一方で,情緒を意味する“f”は,ゲームが苦手な分野とされてきた。もちろん異論はあるだろうが,古典的な名作文学が扱うような「心の機微」を捉えることは,ゲームには難しいのではないか,という問題意識である。
「心の機微」をどう表現するか
本書がユニークなのは,数ある文学作品の中から,わざわざ内面描写が少ない作品を持ち出すことで,逆方向からこの問題を考えようとしていることだ。
例えばヘミングウェイの「老人と海」は,内面の描写がほとんどない作品である。出てくるのは,孤独にカジキマグロ漁に挑戦する老人と,彼を慕う少年のみ。二人は師弟のようでありながら,よくよく読むと,互いに静かにいたわりあっており,その過程が小説ではさりげなく描写されている。こうしたスタイルは,ゲームでもまま見られるものではないだろうか。
また文学の中には,ゲームに負けず劣らず,詳細な描写を行っている作品も存在する。バルザックの小説連作「人間喜劇」がそれだ。
「人間喜劇」は,「ゴリオ爺さん」をはじめとする複数の小説が,共通した舞台で扱われ,ある作品では主役だったキャラクターが別な作品では端役として登場するという,手塚治虫の漫画などでお馴染みのスターシステムの先駆けを作った作品でもある。
山本氏は「ゴリオ爺さん」の舞台であるヴォケー館について,さながら「ダンジョンズ&ドラゴンズ」で冒険者たちが集まる酒場のようだと指摘する。リアリズム志向が全盛だった頃の小説らしく,精緻に描き出されたヴォケー館は,そのままビジュアル化ができそうなほどの情報量を誇る。だからこそ,そこで起きるドラマに読者(=プレイヤー)は情緒を仮託させられる。これが文学をゲーム的な「生態系」と解釈する,山本氏の考えだ。
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論述は丁寧であれ,本文だけで400ページを超える大著なので,気軽に手を出しにくい本書だが,その内容は最先端のエンターテインメント評論とも響き合う,興味深いものだ。例えばピエール・バイヤール氏の「シャーロック・ホームズの誤謬」では,山本氏が古典文学に見た「エコロジー」に通じるものを,バイヤール氏は「中間的世界」という言葉で表現し,まったく新たな解釈を導いている。
いったん“文芸作品をゲームクリエイターの目で眺める”姿勢を身につければ,古典的な文学作品以外もゲームとして楽しめるようになるし,ゲームを遊ぶときも,その構造をいっそう深く捉えられるようになる。コロンブスの卵というべき一冊ではないだろうか。
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- ライター:岡和田 晃
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