巨大な迷宮と化した病院が舞台のディストピアSF「無限病院」(ゲーマーのためのブックガイド:第36回)
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「ゲーマーのためのブックガイド」は,ゲーマーが興味を持ちそうな内容の本や,ゲームのモチーフとなっているものの理解につながるような書籍を,ジャンルを問わず幅広く紹介する隔週連載。気軽に本を手に取ってもらえるような紹介記事から,とことん深く濃厚に掘り下げるものまで,テーマや執筆担当者によって異なるさまざまなスタイルでお届けする予定だ。
このところ,中国のSF小説がブームである。そんな話題も,もはや珍しいものでなく,すっかり浸透した感がある。この中国SFブームは,アメリカや日本のSF小説や映画の影響を強くうかがわせながらも,ゲームとも密接に関わっているのが特徴だ。
全世界2000万部と銘打たれた劉 慈欣(りゅうじきん/リウ・ツーシン)氏の宇宙SF「三体」では,作中に登場する同名のVRゲームが重要な役割を果たすし,同作を英訳してヒットの最初のきっかけを作り,ハートウォーミングな短編「紙の動物園」で話題を呼んだケン・リュウ氏は,サイバーパンクもののRPG「シャドウラン」のファンでもあるという。
「三体」と「紙の動物園」は,どちらもどこか懐かしさを感じる物語でありながら,文化大革命のような凄惨な歴史を背景にすることで,中国の近代史をふまえた内容になっているのも共通点だ。“エンターテインメント”としての完成度の高さもさることながら,シリアスな背景に裏打ちされていることが,中国SFに独特の奥行きをもたらしている。
今回紹介する韓松(かんしょう/ハン・ソン)氏の「無限病院」もまた,そんな中国SFの流儀に則った作品といえる。
「無限病院」
著者:韓松
訳者:山田和子
版元:早川書房
発行:2024年10月23日
価格:3410円(税込)
ISBN:978-4-15-210369-7
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早川書房「無限病院」紹介ページ
本作の冒頭は,極めて大胆な描写から幕を開ける。
舞台は火星を目指す宇宙船〈孔雀明王〉号の船内。キャビン内にはネズミ人間を思わせるサイボーグが闊歩している。彼らサイボーグたちは,瞑想してトランス状態になる力を持った僧侶を司令官に,どうやら宗教的な大義のもと,火星に仏陀を探しに行くのだという。そこで偶然,火星のパヴォニス山の山腹に,巨大な紅十字のある病院らしき廃墟を見つけたところでプロローグは終わる。
次の場面では,どうやらその病院の在りし日らしい光景が描かる。
語り手は楊偉(ヤン・イー)という男性だ。彼は政府の職員として日々,報告書の執筆に追われながら,副業として作詞作曲の仕事をしており,その才能を買われてC市に派遣されてきた。ここに本社があるBという会社が,彼に社歌の創作を依頼したのである。
けれども,C市のシティホテルの部屋にあったミネラルウォーターを飲むと,楊偉は突然,意識を失ってしまう。目覚めたときには,すでに病院のベッドの上だったのだ。
けれども,この病院というのが,まったくもって奇怪な空間なのだ。しかもホールの壁には,「良きサービスと高度の医療とトップクラスの医療倫理が民衆を幸福にする」と書かれている。なんとも不気味な文言ではないか。まるで狂ったコンピュータに支配されたディストピアを扱ったテーブルトークRPG「パラノイア」のようである。
加えて楊偉のいる場所は,人間の生殺与奪が他者に委ねられた強制収容所のごとき空間――巨大な病院なのだ。医療従事者たちとのやりとりは,まったくチグハグで噛み合わないし,そもそも,楊偉は部署をたらい回しにされた挙げ句,ひたすらもったいぶった態度を取られ,自分がどんな病気なのかさえ,「患者の知る必要のないことだ」と教えてもらえない。しかも,かかる治療費は会計担当者の胸算用なのだ。
病院という迷宮空間
この病院,実は何十階もある巨大な迷宮である。それこそ「真・女神転生」のような3Dダンジョンの世界で,一方で「サイレントヒル」に登場する廃病院を思わせるホラー空間でもある。そして読者は,作中での表現を借りれば「西遊記」で三蔵法師一行が天竺を目指して旅したように,その内部をさまよい続けるのだ。
この病院において,医師は患者に対して,神のごとき絶対的な権力を保持している。作中では,それを“地獄の王”たる閻魔大王になぞらえていて,その支配を転覆させるため,なんと病院内では自爆テロさえ起きる始末である。
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ただ単に,悪夢のような光景が続くばかりではない。語り手の楊偉と行動を共にするヒロイン・白黛(バイ・ダイ)が中盤から登場すると,少しずつこの病院の正体が垣間見えてくる。病院は治療の名目で病気を作り出しながら人々をコントロールし,そればかりか患者が「病院のために生きる」ようにするため,遺伝子レベルでの改変を施していたのだ。
医師たちは広大な空間としての病院の中を,ジェット噴射で飛び回る。しかし,さながら神のごとき医師たちも,「神」というより「半神」にすぎず,軍需産業と政府が野合した「軍産複合体」ならぬ「診療-研究-産業複合体」の犠牲者でもあると分かってきて……。
――なに,荒唐無稽だって? まったくそのとおり。
しかし延々と続く悪夢めいた情景には,読者にページを繰らせるだけの異様な迫力があるのだ。その奇想を,ただそのまま楽しめばよい。
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「魔の山」には,精神病院でひたすら演説を繰り返す人物らが登場するが,その内容は博愛主義や虚無主義といった,第一次世界大戦前に興隆したヨーロッパ思想を凝縮したものであった。「魔の山」が当時のヨーロッパを風刺したように,新華社通信の記者でもある著者は,本書で中国内外の政治状況を風刺したのではないだろうか。また単純に,医療費の高騰が続く日本の状況と重ね合わせて読むことも可能である。
最後に翻訳について触れておこう。本書は英語版からの重訳だが,英訳者のマイケル・ベリー氏によると,底本にしたのは元の中国語版から,さらに改稿がほどこされた“ベストのヴァージョン”だという。原典からかけ離れてしまいがちな重訳は批判されることも多いが,その問題は本書では気にせずともよさそうだ。
訳者の山田和子氏は,「外宇宙」としてのSF(サイエンス・フィクション)を,「内宇宙」を扱う(スペキュラティヴ・フィクション=思弁小説)として読み替えたJ・G・バラードの訳者としても知られた人物であり,その練り込まれた訳文には唸らされるものがある。
これまで日本に紹介されてきた中国SFは,どちらかといえば“分かりやすい”作品が多かった。本書は物語の根幹こそシンプルだが,読めば読むほど,さまざまな解釈を引き出す余地がある。そういった意味で,筆者がこれまで読んできた中国SFのなかでも,最も奥行きがある作品の一つと感じられた。しかも,これで三部作の第一作目なのだ。まさに読者の知性と理性に挑戦する,物語の入口となる一冊となっている。
■■岡和田 晃(翻訳家,文芸評論家)■■
SF・幻想文学やクラシックなスタイルのゲームにちなんだ翻訳紹介を得意とするライター・翻訳家。ケン・リュウのSF短編「しろたえの袖(スリーヴズ)――拝啓、紀貫之どの」(待兼音二郎訳)を収録した,TRPG「エクリプス・フェイズ」のアンソロジー「再着装(リスリーヴ)の記憶」(アトリエサード)の編纂に携わる。文芸誌「ナイトランド・クォータリー」では編集長を務め,Vol.27には「無限病院」の訳者・山田和子氏のインタビューも掲載中だ。
早川書房「無限病院」紹介ページ
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